
厳しい世界にもかかわらず、GP500に参戦した97年、ルーキーイヤーでの活躍を収め、誰もが来シーズンの活躍を期待していたが、悲劇は突然やってきた。来シーズンに向けてのテスト走行時に襲われた事故は、脊髄損傷。レーサーにとってそれは致命的なダメージ。ケガでバイクに乗ることができない辛さを計り知ることはできない。事故を境に離れて行く人たち。人間不信に陥るのも当然だが、青木選手のモチベーションを維持してくれたのもまた、人間関係があったからだ。
「チヤホヤされていた時代がなかったわけではありません。ケガをした直後こそ、たくさんの方々が心配してくれましたが、再起できないことがわかるようになると、徐々に離れていってしまいました。正直、人間不信になりましたが、よく考えてみればそれも当然なこと。まったく責めるつもりなんてありません。そんなことより、変わらずに親交いただいている人はもちろん、ケガの後に知り合って支えてくれる方々の存在が、僕に大きな勇気を与えてくれるんです。ケガは悔しいけれど、これは転機だと受け入れることができるようになったんです。
もちろん僕自身ケガを治すことを諦めてはいません。医学の進歩はとにかく凄い。ケガをしてから13年になりますが、この間に不治の病とされた病気がどれだけ改善されてきたか。僕が生きている間に治療が確立されるのは何ら不思議なことではありません。かといって、ただ時間を待つだけではいけません。いまもしっかりとリハビリに取り組んでいます。要は今できることをコツコツとやっていくこと。それしかできないんですから」
このポジティブさは、いまの時代だからこそ、より

輝きを増し、多くの人たちに勇気を与えることだろう。昨年には、青木さんの熱意が風穴をあける。日本におけるライセンスの取得だ。
「今後僕が日本のレースに出場できることが周知の事実になったわけで、レース業界に風穴を開けることができたかなって感じています。もっとも障がいを持つ人にライセンスが与えられなかったのは、監督官庁の責任問題になりかねません。でもそんなことはナンセンス。レース自体、危険なスポーツなのです。ようやくツーリングカーレースのライセンスが下り、世界を目指す準備が整いました。一昨年に出場したダカールラリーは、あえなくリタイアしてしまったので、今度は絶対に完走してみせますよ。ただ資金がかかるので、いまはツーリングカーの世界一のとこを目指していきます。今年はシビックのワンメイクで走ります。一番クラスが高いところでのチャレンジだから、いま自分のレベルがどこにあるのかを確認しながら磨いていきます。最終的な目標はルマンになりますが、そのためにも各地で開催される耐久戦に挑戦しながら、いまできることをクリアしながら進んでいきます
全文は是非、本誌でお楽しみください。
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あおきたくま
1974年2月24日、群馬県生まれ。小学校3年生の時にポケバイを乗り始め、翌年からレースに参加し、中学生になるとミニバイクレースに移り、全日本ミニバイクレースG-1(16歳以下)クラスで堂々の3連覇を果たす。その才能は多くの人たちの目に止まり、高校生時代にはプロライダーとして活躍。250CC、500CCへとステップアップし、95、96年には全日本スーパーバイク2年連続チャンピオンを獲得。97年、活躍の舞台は世界へと移り、オートバイレースの最高峰、世界選手権ロードレース500CCクラスで、初参戦ながら世界ランク5位を獲得する。その翌年、テスト走行中の事故で脊髄損傷を追うが、レーシングチームの助監督、解説者、後進の指導に当たり、レース界の普及啓蒙に努めてきた。そして4輪のレーサーとして復活を遂げ、昨年には日本で正式なライセンスを取得する。
オフィシャルホームページ www.takuma-gp.com/