眼鏡旅情 Ryojo

白河

02白河小峰城年を重ねると月日の流れを早く感じてしまうものなのか。新年早々、旅に出掛けたが掲載号は2月、もうすぐ節分だ。東北の旅を始めて6カ月が過ぎ、一つの節目が新しい年と重なり、今年こそは復興元年と願うばかり。この願いを胸に深く刻み、福島の旅は続く。
メディアでは十分に伝えきれていない沿岸部に残された深い爪痕は前号(いわき)で紹介したとおりだが、今回向かった先は、白河。県の中央部に位置し、栃木、茨城と隣接する県境の町。そう、みちのくの玄関口である。
これだけでも十分に観光スポットとしての資質を備えているわけだが、どこにもメジャーは存在するだけに、隠れた存在になってしまうこともある。ここ白河もそんな町であるが、視点を変えればそれだけ多くの発見が待っている、ということ。何を隠そう旅人は、羽鳥湖スキー場の自称常連。東北道・白河インターチェンジを利用しており、単なる通過点から拠点へと改めてさせてくれたのだった。

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いわき

iwaki-hakuもう6年は過ぎただろうか、福島県いわき市を訪れるのは。ほとんどの場合、車を利用しているわけだが、いわき駅に向かうとペデストリアンデッキが設置されるなどの駅前開発が進み、きれいな町並みに生まれ変わっていた。もっとも県内で最大の人口と面積を誇るだけに自然な流れであるが、かつてのどこか昭和を感じさせる町の雰囲気もきらいではなかった。といっても、いわきに対するイメージは変わることはない。
その一つが路線にあり、旅人が毎日のように通勤で利用している常磐線の延長であるから、勝手に親近感を覚えていることだ。小学校高学年に流行った鉄道。時刻表を片手に常磐線を通過する特急列車をオリンパスのペンで写真に収めていたのは懐かしい思い出。社会人になるころには鉄道熱はすっかり冷めていたが、常磐線の中距離電車とえいばその昔、アルコールで充満するサラリーマン達のオアシスでもあった。さすがに旅人が働き出した頃には、その悪名も払拭されていた。ただし小豆色のボディカラーが時代から取り残されたオーラを発していたことは間違いない。その車体には「平」という行き先表示。昭和の人間は「いわき駅」より「平駅」の方がしっくりする。いわきに改名されてからも、平のイメージを強く持っている人も多かったようで、乗り過ごしてしまう人が少なくなかったとか。

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会津若松

12日新豊かな自然。しかも首を傾げたくなるようなどぎつい観光地開発と無縁な福島が、震災後、負の話題で持ちきりなのは実に痛ましい。かといって福島に寄せる思いは変わることはない。あれほど旅行に出掛けた福島も、子育てや仕事に忙殺されてここ10年近く遠ざかっている。テレビでも観光客の減少を嘆く関係者が映し出され、この悲痛な叫びに自称・福島観光大使が黙っていられるはずはない。見えない敵は確かに怖いが、見えないのであれば見ないことにすればいい。こういうときは、ポジティブになれる。案外、非常時に強いのかもしれない。家人に福島の旅取材を告げると、「それなら、ままどーるを買ってきてね」と送り出してくれる。さらに上いく強者である。

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二戸

二戸TOP都内から離れること約630km。まさかこの距離を自分がハンドルを握るとは思わなかった。秋の3連休とあって目的地のレンタカーは満員御礼。それだけ全国から東北の地に出向いてくれるということは、よそ者ながら有難いと思う。7時間程度のドライブぐらい、難なく乗りこなせる年齢であることを証明できるいい機会でもある。宮城県を越えると今回の目的地、岩手県に入る。最初の洗礼は平泉前沢インターチェンジ。ご存じの通り、平泉が世界遺産に登録されたことを受けてこの日も多くの観光客が訪れているようで、出口から2kmほど長蛇の列が並ぶ。ここからが試練。岩手県は本土で一番の面積を誇る大きさ。しかも南北に長く、目指す二戸はまさにてっぺんに位置するところ。苦労が多いほど報われることを信じよう。この地は戸が付く地名が多い。ものは考えようだ。戸を扉とすれば、その扉の先には楽しく、うれしく、幸せな世界が待っている。これでは一つ多いか・・・

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登米

登米-1津波の被害は太平洋沿岸部の広域にわった。中でも宮城県の被害は大きい。前回、気仙沼市をお届けしたが、復旧・復興に関わる人たちが全国から集まっているわけで、当地での宿泊は叶わなかった。
車中泊も想定していたものの、暑さのせいか寄る年波に勝てず、日差しが西に傾いていく頃になると、無意識のうちに公衆電話を探していた。もちろん目的は電話帳である。
気仙沼市のお隣、登米市が今回の旅のスポットであるが、やはりというかここでも満室。これも無計画旅行の醍醐味といえばそれまでだが、火照った身体をせめてシャワーで癒したい、という気持ちが通じたのか、さらにお隣の古川で事なきを得たのだった。さすがは東北新幹線の停車駅である、駅周辺には数多くのビジネスホテルが建ち並ぶ。それでも今宵の宿へ到着すると、チェックインの行列。間一髪のギリギリセーフだった。

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気仙沼

気仙沼-1東日本の広範囲にわたって震災、津波が襲った東日本大震災。震災直後から悲惨な現地の映像が届くたびに、どれほど心が痛み、人間の無力さをこれほど突きつけられたことはない。
あれから5カ月が過ぎた。
復旧、復興に向かって力強く動き出していることは、各種メディアからもたらされる報道で一応の理解は得られるが、家族、親類縁者を失いながらも力強く生きる姿や、苦しさの中に垣間見られる笑顔に勇気づけられる。
メガネの専門誌とはいえ、本来ならば震災直後のリポートは欠かせないが、あまりの被害の大きさに、ただ茫然としていたのは隠しようのない事実である。メガネに関するメディアの端くれとして、何ができるのか。自問自答を繰り返す日々を過ごしていた中で、中尊寺が世界遺産に登録されたことはもちろん、海岸線に甚大な被害をもたらしただけに、魚の水揚げが始まったことは、復興の象徴の一つとして映る。
復興作業、地場産業への直接的な協力はできないが、日本人の心の故郷でもある、東北を改めて旅することで底力を再確認してみたい。エリアによってはまだまだ観光どころではないが、旅は思い出を刻むもの。思い出は楽しいことも、苦しいことも…、まさに人生そのもの。短期集中連載として、「がんばろう東北」との思いを胸に刻み、旅という時を刻むために東北へと向かう。

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関-2最近、やたらとキレが無くなっているような気がする。もちろん加齢であることは言うまでもないが、キレとは何も肉体的なものばかりでなく、精神的なものこそが求められる。男子であれば誰もが円熟味を増す紳士に憧れるはずだろう。
そろそろ梅雨明けが聞こえてきそうな7月初旬に訪れた熱波。紳士の誓いを立てるも、早くもこの暑さに意気消沈する始末。天気予報では体温を超える暑さの報せが届けられる。そういえば日本一暑い町として知られるのが埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市。両市とも40℃超えの強者。怖いもの見たさも手伝って過去に出掛けた熊谷では、噂以上の暑さに白旗をあげる。それならば西の横綱、多治見市に挑戦状を突きつけないといけないのだが、あれから3年が過ぎて気力も減退。
そこで視点を変えて、暑さ退治に向かった先は岐阜県関市。ここは言わずと知れた刃物の町。切れ味鋭い切っ先で、熱波を切り裂き、男をあげる旅へと向かった。


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守山

07守山-大橋社交的な性格でないことは、自分自身よくわかっているつもりだ。だからといって人との付き合いを抜きに、人生を歩むことができないことも理解しているし、人との出会いによって刺激を受けていることも事実だ。ネガティブ人間だからこそ、出会いによって得られる新たな感動は大きい、と得心するのはポジティブな要素が残っていると信じたい。人間はきっとネガ・ポジ両面を備えているわけで、言葉遊びではないが、出版に従事する身であれば切っても切れない要素でもある。いや、いまはデジタル画像の世界、古すぎたか。
メガネ業界にはいくつかのボランタリーチェーンがあるが、その一つサンクスオプティカルグループでも集まりで、不思議な縁をいただく。その主は、滋賀県守山市にあるメガネのムラタさん。総括マネージャーの村田和也さんときたら、初対面とは思えない人当たりの良さとテンションの高さ。光のような存在であり、自身を顧みながら、ここでもポジとネガを体感することになる。印象深かったのは、地元守山に対する思いだった。
目を輝かせて語る村田さんに引きこまれ、むしろ今回の眼鏡旅情は必然だったのかもしれない。滋賀県は2度目の訪問となるが、新しい発見を予感するばかりだ。


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大牟田

06宮原抗この春、九州新幹線が開通し、青森から鹿児島まで、新幹線によって結ばれることになった。何を隠そう旅人は、昭和39年生まれ。そう、東海道新幹線が開通した記念すべき年に生を受けたわけだ。自ら高度成長期の申し子とのふれこみは、同年代以上の世代にはウケはいいが、下になれば反応が薄く、寒いを通り越して凍り付いてしまう。平成の世を実感するばかりだが、昭和生まれにとって新幹線は憧れの象徴。幸運にも4歳児で新幹線に乗車したものの、もちろん当時のことを記憶してはいない。ただ深層心理としてインプットされているようで、後のにわか鉄っちゃんがこの時に育まれていたのかもしれない。
約半世紀の歳月をかけて本州と九州を縦断することになった新幹線。記念イベントは中止になったとはいえ、一般の方々がエールを送る姿が映し出されたCMは、一時の清涼剤になったことを知る人は多いだろう。歓迎ムードに染まった九州だから、きっと旅人にもやさしく迎え入れてくれるはずだ。

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板橋

06板橋-1商店街の衰退はわが町を見るまでもないが、便利な社会と引き替えに心の通った商売が消えていくのも、われわれ生活者自身がが選んでしまった、ともいえるだろ。物欲に乏しい身でありながら、何故か店員のかけ声に包まれた商店街を散策するのは好きだ。これも社会人になって上野から職場を一度も離れたことはなく、アメ横のお膝元でもあることが影響している思われる。
つい最近、お婆ちゃんの原宿であふれんばかりの元気をいただいた。その元気こそ、今の日本に欠かせない。消費は経済を大きく刺激する。たっぷりの軍資金で膨らませた財布を携え、いや、無理だ。せめて妄想だけは膨らませ、向かった先は板橋だ。


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