まずはジックリと写
真を見ていただきたい。見れば見るほど、細部まで実に細やかな配慮がなされ、作り込まれているかがお分かりいただけるだろうか。なにより素晴らしいのは、ユニークなアイデアで海の上と下の二つの世界を同時に鑑賞できるように作ってあることだ。下から見上げると海面
から漏れてくる光で、あたかも本当の海中にいるような錯覚を覚えるほど。老若男女、見る者それぞれが想像力をかき立てられる。このように車や船、飛行機、戦車などの単体模型を作るだけではなく、箱庭のように、ある情景の中に配置して、特定のシーンを立体的に作り出すのが「ジオラマ」の世界だ。それは史実に基づいたものであったり、作者独自のストーリーを反映したり、あるいは現在実現不可能な遠い未来の出来事だったりする。単体ではどんなに精巧に作り込まれたものでも、ドラマチックな感動は得難いが、ひとたび作者の意図する情景の中に適切に配置された時、映画のワンシーンのように見る者に感動を与えてくれる。
今回の特集では、そのジオラマ作家として常に第一線で活躍しておられるプロモデラー金子辰也氏の作品とインタビューをたっぷりとご紹介しよう。
■ジオラマは映画づくりに似ているかもしれない
取材にお伺いしてまず見入ってしまったのが、この見事な『カリプソ号』だ。子供時代に作った遊びの工作をヒントにしたというこの作品。海面
を通過する光をうまく演出効果として使っている。もともと「ジオラマ」とは布やガラスなどに背景を書き光を透過させて、覗き窓から見るのがルーツと聞く。その意味では、まさに原点的ジオラマといえる。どのようにして考え、形にしていくのだろう?
単体で作る模型から一歩進んで、もう一つ上の世界ってあるじゃないですか。模型を作り、並べていくなかで、ストーリー性だとか、何かテーマとか、メッセージとか、そういったものが、表現されていくからジオラマになる。だから、たぶん一番置き換えて分かりやすいのが、映画を作るのと同じ様な事だと思います。まず、テーマがあり、脚本がある。それを表現する為に、主役を決め、大道具を作り、小道具を探したり、演出のこだわりがあったり…。映画は大勢のスタッフがいますが、ジオラマは、それを全部一人でやるみたいなもの。監督、脚本、大道具、小道具から演出家までっていうことです。脇役はどうしようとか、
ここでサイドストーリーを作ろうとか、いろいろ考えて演出していくわけです。しかも見る人の心理も考えていなければならない。例えば『ひまわり』という作品でいうと、まず遠目で見た時、「黄色が沢山ある何か花かな?」って。3〜5メートル離れた距離で見た時に、そう見えるだろうって。で、何だろうって近寄って見た時に、ジオラマ一面
に広がるひまわりに気づき「おおっ!」ってまず、いうだろうと…。で、そこからずーっと見た時に次に目線が動いて行って、一本一本のひまわりや、戦車のキャタピラに踏みつぶされた様子など次第に細かいところまで見せて、そこでまた、「あっ」って思わせて…、という事は他にも何かあるのかなってもっと良く見て行こうってずるずるずるって引っ張り込んで行くんです。
やっぱり、こういった見せ方を考える上では、グラフィックデザイナーとしての素養が役立っていると言えると思います。デザイン的な部分っていうのは、平面
であろうが、立体だろうがちょっと手法が違うだけで、コンセプトから、最終的に見せるとこまで持って行く、プロセスの組み立て方は同じだと思います。今は、何でもコンピューターを使ってできますが、僕達の世代だと、最初は手を使う仕事が基本であって、つまり切り貼り一つとってみても職人技のアナログの世界で揉まれたことが模型製作にも生きているのかもしれませんし。だからそういう感覚とか、演出とか、バランスとか色彩
などの部分も職業柄かもしれません。
■子供の頃はしかにかかって寝込んだ時が模型初体験
今ではこの道の第一人者としてその地位
を確立した金子氏だが、そこへ至るまでのプロフィールを聞いてみた。
僕が一番記憶しているのは、ちょうど小学校に入った頃、サンキョウの「ピーナシリーズ」と言われている、たぶん30円か50円位
の、羽と胴体を付けるマッチ箱みたいなパッケージに入った100分1スケールの飛行機のプラモデルがあったんです。当時、はしかにかかって1週間位
学校休んだ時に、父親がかわいそうだから、「何か買ってやれよー」ってことになって買ってもらったんです。これは、付属の台紙を広げると飛行場が印刷されていて、そこに飛行機がいくつかセットされていて、当時僕たちにすると非常に豪華セットで、それが欲しくてたまらなかったのでとても喜んだのを覚えています。格納庫は、紙を切り取って、雑誌の付録の様に作ったものです。プラモデルの原体験としてはたぶんそれが最初ですね。その後は、学校の側のおもちゃ屋さんじゃなくて文房具屋さんにプラモデルが、もうホント30円位
から何百円まであって、頑張っても100円位のがせいぜい作れるかっていう感じでした。誕生日、クリスマスなど特別
な時には、もうちょっと大きい何百円のを作ったりと…。小学校時代はそんな感じでした。
その頃から、見よう見真似で塗装は始めてますね。当時ピラーっていう国産ですけど、エナメル系の結構どろどろしたつや消しのモッタリした塗料を使ってた覚えはありますね。
その後本人いわく、図工だけは成績が良かったという金子氏。高校2年の時美術関連の予備校の講習をきっかけに渋谷の桑沢デザイン研究所を経てグラフィックデザイナーの道へ進むこととなる。結婚を機に一時東京を離れた時期もあったが、やがて舞い戻りジオラマを作り始める。当時、ミリタリーモデルのジオラマではそれまでなかった、たくさんの羊が道路を横断し、軍の車輌がストップしてその群れが通
り過ぎるのを待っているという、とても牧歌的で非戦闘的な情景を描いた『羊飼い』でデビューのきっかけをつかむ。
東京に戻って来てから時間があったんで、ジオラマを作り始めたんです。東京AFVの会(主に戦車や装甲車などの模型を製作して発表する場)っていうのがあって今も続いていますけども、モデラーを目指す人の登竜門みたいな会で、実際にそこからたくさんプロの人材を輩出してまして、そこに作品を持って行こうと思ったわけです。それで実際持っていったら、自分でも驚いたんですが、意外に好評で、その当時主催してた「カンプグルッペジーベン」という模型を作る人にとっては伝説的な雲の上みたいなモデラーのグループがあって、細川さんという会長をやってた方が、その作品を評価してくれて、今までとはちょっと雰囲気が違うとか、色彩
が綺麗だとか、欧米風だったりとか、ジオラマのフレーム、体裁をキチッとしてるだとか、いろんな意味で評価してくれて、一緒にやらないかという話になって、そこからモデラーとして本格的にスタートしたわけです。
タミヤが毎年年2回、業者さんを集めて、商談をやる展示会があるんですがこのグループが仕事を受けて作品を出して、それらは、展示会終了後「タミヤニュース」や他の媒体、カタログなどに使用されたりしたのです。それに一緒に参加しないかっていうので作ったのが『羊飼い』という作品だったんです。それまではみんな戦闘しているとか、勇ましいものばっかりだったので、まさかあんなのが出てくるとは思わなかったみたいでしたが、まあ、これはこれで面
白いっていう話になって、もっとこいつに作らせようという話になってホビージャパンの編集者を紹介されました。ちょうど、ノルマンディの特集があるので何か作れということになって『ヘッジホッグ』というアメリカの小型の戦車のノルマンディでの情景を作った。これが気に入られて、いきなり100号記念の表紙に採用されたんです。それが実質デビューですね。タミヤのは一般
の展示じゃなかったので、一般に公になるのは次の年のカタログだったものですから…。それがちょうど、25年前の12月ですね。1977年ですね。
先頃「アイラブタミヤ展」で、展示予定のこの作品を引っ張り出して見たら、もう25年なんですねー。
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