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ニューヨークを拠点にする日本人の
ジャズ・プレーヤーは増えてはきたが、まだまだ少数派。
そのなかで活躍する一人が中村健吾さんだ。 中村さんにとって、眼鏡はステージ上で
自己表現の一つという重要な要素。 昨年のテロの話やニューヨークでのお気に入りの眼鏡ショップ、
ジャズ・プレーヤーたちの眼鏡への思い入れについて語ってもらった。
■ジャズの本場NYで起きた同時多発テロ
最近日本でも、ジャズを聞く人、それも若い人が増えてきている。ジャズといえばまずニューオリンズ、ニューヨーク。中村さんはそのニューヨークに在住。今、ニューヨークと言うと昨年9月に起きた同時多発テロがどうしても思い起こされるが、影響はあったのだろうか。
昨年9月11日の同時多発テロの前後は、ちょうど今年2月に発売した2枚目のアルバム『Say
Hello To Say Goodbye』の曲作りの真っ最中。しかし、テロが起きてからは何も手がつきませんでした。事件そのもののショックと、その後街の機能が失われたことのダブルパンチですね。今住んでいるアパートはグランドゼロ(ワールドトレードセンター跡地)に近く、テロ後、南側は一般
のクルマは通行禁止。通るのは救急車と消防車。聞こえるのはサイレンの音だけ。人っ子一人歩いていなくて、まるでゴーストタウンのようでした。曲作りに心が向かうことができず、テレビを見ては事態の推移を見守る日々を送っていました。
■曲作り再開のきっかけは、前市長の言葉
中村さんは、再び曲作りに向かうことになる。しかし、そのきっかけはいったい何だったのだろう。
曲作りの気力がわかない状態が続いていたところに、ジュリアーニ前市長の演説を聞いたのです。「テロに屈することなく、今まで通
りの普通の生活に戻ろう。野球を見にいったり、ミュージカルをみたりしよう。それが唯一テロに負けずに、我々ができることだ」。その言葉に心打たれて、僕は何ができるだろうと考えました。やはり、僕はミュージシャンだから、音楽で何かをしたい。そのときのありのままの気持ちを曲にしたのが、アルバムの10曲目にある『Hope』。崩れた瓦礫の下にいる消防士の方やワールドトレードセンターで働いていた何の罪もない人達が、早く救出されてほしいという願いを込めました。演奏すると、そのときのことを思い出して、今でも胸がすごく痛みます。
■緊張感漂うアメリカの雰囲気が曲にも
同時多発テロ事件やその後のニューヨークに対する中村さんの思いは今度のアルバムにも反映されているという。
9曲目の「Where Crisis Speaks 」もテロ後に書いた曲。すごく緊張感の高い曲ですが、これからアメリカはアフガニスタンと戦争をするかもしれない、という緊張感が高まっている雰囲気を自分が感じたままに音にしたからです。このアルバムのコンセプトは、“人を好きになること、人を愛すること”というロマンチックなものですが、あえて、こういった曲を入れました。2001年に起きた出来事を曲にして、いつまでも後世に伝えていかなければいけない。それが僕にできることだと思っていますから。
■眼鏡人生は中学から始まる
眼鏡を通して、ニューヨークを見てきた中村さん。自身は眼鏡をかけているが、家族は目がいいという。
眼鏡は中学校のころからですね。僕の家族は目がいいんですよ。なのに僕が眼鏡をかけるようになったのは小学校の頃から右目をよく傷つけていたから。たとえばジャングルジムに昇っていたら、誰かが投げた木の枝が右目に刺さった。友達と草野球――僕のポジションはキャッチャーだったのですが――をすれば、ファウルチップがよく右目にあたる。こんなことが続いて、右目の視力が悪くなり、とうとう中学一年生の眼科検診で眼鏡をかけろ、と宣告が下されました(笑)。当時、中学生の眼鏡は絶対に銀縁と相場が決まっていて、初眼鏡は銀縁。デザインなんて考えもしなかったですね。
でも、中三になると、デザインが気になり始めたんですが、自分で選んだ眼鏡をするのが嫌になったことがあって……。べっこうフレームの眼鏡がどうしてもかけたくて、手に入れたんですが、かけているうちに何でこんな眼鏡をかけているのか、何でこんなに似合わないのかって、自己嫌悪に陥りました。高校生になると眼鏡をかけているのがはずかしくて、かけたりはずしたりでした。思春期だったんでしょうね(笑)。
大学に入ってからは、ジョン・レノンに夢中になった影響で、彼がかけていたようなノーズパッドのない眼鏡でした。結局、中学から大学を卒業するまでに6個の眼鏡を作ったことになりますね。
■眼鏡は自己表現手段
すでに20年以上のつきあいの眼鏡、中村さんにとってはどんな存在なのか。
眼鏡はファッション、自己表現手段の一つだと思っています。着ているものに合わせて変えるのも楽しみ。イメージチェンジも兼ねて一年に二回ぐらい作ります。
■同じ店で普段使いとステージ用を交互に
ニューヨークにも多くの眼鏡ショップがある。中村さんお気に入りのショップはチャイナタウンにあるという。
有名ブランドの眼鏡ショップもニューヨークには多いのですが、僕はチャイナタウンにある永昌眼鏡公司というお店で演奏用と普段使いを交互に作っています。中国製のフレームやレンズはもちろん、アメリカ発信のもの、日本製の眼鏡もたくさんある、という世界中の眼鏡が集まる店です。だけど、この店の一番の魅力は、眼鏡作りの腕がすごくいいこと。とても繊細な仕事で、注文をするとその通
りに仕上げてくれるし、視力検査も日本並みに丁寧。ただ、アメリカらしいのは、検眼でレンズの度合いを決めるときに、「これも合ってるけど、こっち(度が強かったり、弱かったり)でも作れるよ」と言われることかな。「イッツ・アップ・トゥ・ユー(あなた次第です)」と言われて、自分でどちらかを選ばなければならない。で、自分の好みを伝えると「オッケー、じゃあこれで眼鏡のレンズを作るから」と言った調子です。
■普段使いは軽さが優先
中村さんは、普段使いとステージ用を使い分けているという。使い分けで特に意識していることは何なのか。
普段かける眼鏡は軽さ優先。そのほうが楽ですから。ノーズパッドのない眼鏡はニューヨークであまり見つからないんですよ。それで、今の普段使いの眼鏡は、久しぶりにノーズパッド付きのものにしてみました。僕には似合わないと思っていたのですが、つけてみたら、なかなかいいかな、と悦に入っています。でも、これも2年前からかけているので、そろそろ新調の時期。ノーズパッド付きもいいし、無しもいいし……、レンズがオーバルでなくてもいいし……。どうしようかなぁと頭を悩ませています。
■忘れられない眼鏡アクシデント
眼鏡を長年かけていると、印象的な出来事はいろいろあるはず。中でも……。
レンズが外れて困ったことがありますよ(笑)。エルサレムでホテルから演奏会場へ向かっているときに右目のレンズがとれてしまった。レンズを入れ直す道具なんて持ち合わせていなかったので大変。片方しかレンズがない眼鏡ってカッコ悪いですよね。仕方がないので、はずしたまま演奏を強行。遺跡や赤い壁に囲まれたとても幻想的なステキな野外会場でのライブということで、風景も楽しみだったんですが、全部ぼんやりとしかみえなかった。夕暮れになってついたライトまでぼやけてみえました。今でもその時のことは、とっても残念に思っています。また、行ける事があるかな。
■最初はクラックギターから始まった
今は、ウッドベース奏者である中村さん。しかし、最初からこの楽器を演奏してきたわけではない。
今は、僕の音楽の表現方法としてウッドベースを弾いていますが、12歳のとき最初に手にした楽器はクラシックギター。でも、どこか違う。コード進行をやりたいのにできない、などと思っているうちに中学生になって当時流行っていたニューミュージックにひかれてフォークギターを始めました。高校の時に、バンドで他に弾くやつがいないからということで、エレキべースを弾くことになったのです。ウッドベースに転向したのは、23歳のときにアメリカに渡り、ボストンのバークリー音楽大学に入学したあとジャズをやりたかったから。ジャズの魅力はなんと言っても表現に自由さがあるということですね。だから音楽大学を卒業したあとニューヨークへ移り住んだんです。
■ニューヨークを活躍の場に
大学卒業後ニューヨークに移った中村さん。なぜニューヨークを選んだのだろうか。
もちろんニューヨークで演奏活動をしたかったからです。でも、皆さんもよくおわかりだと思いますが、最初から音楽の仕事なんてありません。まずは、生計のために旅行代理店のアルバイトをしながら、ストリートライブをしたり、飛び入りができるジャムセッションで演奏をしたりしながら名前を売りました。そのうちジャムセッションの演奏の後、名刺をくれと言われることが増えて、うれしかったですね。名刺をくれと言われるということは、仕事を頼むことがあるかもしれないということなんです。徐々に仕事が入ってくるようになり、サイラス・チェスナット・トリオに参加し、自分のアルバムを出すことができ、ツアーを行うまでになりました。
■夢を諦めない
チャンスもあり競争も厳しいニューヨーク。そこでつかんだ成功。同じ志を持つ人達への彼のアドバイスは……。
僕は、必ず音楽で生きていくんだとずっと想い続けてきました。どんな時も迷わずに。自分の思う通
りにいかないことが多かったですが、どんなに時間がかかっても実現できるように努力を重ねた。常にチャンスを探し続ける。大変ですが夢を諦めないでいたからこそできたことだと思います。夢は実現するためにあるものです。今、路上でライブをしている若者たちを見ると、昔の自分を見ているようで、つい「がんばれよ」と声をかけたくなってしまいます。夢を追い続ける、それが成功へ導いてくれる鍵です。

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