日本で生活しているなら、普通 バイクというモノは必要ない。 乗り物として、また単なる移動手段としてなら軽自動車でもクルマの方が断然便利。エアコンが効くクルマに慣れたこの体にはバイクに乗るという行動は苦行にも思える。夏には足の間からメラメラと燃えるような灼熱地獄が広がり、冬は凍えるほど寒い。指先なんか折れそうになる。だけど、それでも乗りたくなる魅力がバイクにはある。それも、近くに寄ると一瞬ひれ伏してしまいそうな大きく重い巨体、そして一歩間違えれば危うい目にさえ遭うほどのパワフルなビックバイクに惹きつけられる。 もともとバイクは日常生活を忘れさせてくれる、言ってみれば自分自身を取り戻すための道具。自分だけの時間を楽しもうとするならその醍醐味は大きなほど良い。 想像してみて欲しい。初夏のまだ汗ばむほど暑くはない季節、五感に滲みてくる青空や海の蒼さ、夏を待つ木々達。そこを駆け抜ける喜び。目には見えない空間の匂い。生きていることの喜び。そして遠くまで辿り着く達成感。 日常生活では全く必要ないバイクと生活するということ。それもビックバイクと生活するということ。それは本来人間が必要だけど、現代社会の生活の中では摂取しづらくて忘れかけている大切な何かを満たしてくれることではないだろうか。なんと贅沢な時間だろう。 小さい頃漫画で連載されていたナナハンに跨る主人公に憧れたときだと思う、私の血液の中に大型バイクに乗ってみたいという感覚が住みはじめたのは。その後、大きくなってから、都内の何でもない路を行く乗れてるライダーを見かけたとき、バイクそのものよりもそのライダーが気持ちよさそうで羨ましかった。無性に自分も乗りたくなった。なかなか実行出来なかったが、いよいよ幼い頃から私の血液中に潜伏していた衝動は目を覚ました。ほんとうに、まさしく気がつくと教習所にいた。 チューメンは高校生の時に取っていた。だから、思ったよりも簡単に(ほんとうはそうでもないか)ビックバイクに乗るための限定解除は手に入った。 教習所に通っていた頃からバイク屋通いが続いていた。 もちろん免許が取れたその日、その足で中古の愛車を取りに行ったのは言うまでもない。 いよいよビックバイクとの生活がはじまった。はじめのうちは、ちょっと不安で近所を乗り回したり、用もないのにやたら友達の部屋を訪ねたりしていただけだったが、いつしかショートツーリングにも出かけるようになった。 夏、渋滞のうだるような暑さの中を我慢して走る。そして山に近づき、駆け上がったときの涼気。道路筋で売っているアイスクリームの冷たさ。 冬、手がちぎれてしまいそうな寒気の中を走り抜けるときの一瞬の陽だまりの暖かさ。そして、凍てつく唇と内蔵を一気に暖めてくれる缶 コーヒーのうまさ。普段は何でもない些細なことでさえ有り難さが身にしみる。 これは、そうバイクに乗らなきゃ気づかなかったことだ。 バイクに乗る。それもビックバイクに乗る。 これは、その後の私の人生を大きく変えてくれた。 それは言葉では語り尽くせないほどの違いがあった。 ビックバイクの代名詞といえば誰もが認めるハーレーダビッドソン。 性能だけなら国産に素晴らしいバイク達がたくさんある。特に1リッターオーバーの世界では100万ちょっと出せば、時速300キロの世界が手に入ったりする。だけど最高スピードではなく、風景を記憶出来たり、そのときの匂いを感じることが出来るビックバイクはハーレー以外は思いつかない。それに、他のバイクだったら「バイクに乗る」としか言えないけど、ハーレーだけは「ハーレーに乗る」と言える。多分自分はバイク乗りではなくハーレー乗りでいたいのだろう。 ところでこのハーレー。バイクなんかに縁がない女性でも名前だけは聞いたことがあると思う。(女性のハーレー乗りに怒られそうだ)一九〇三年に誕生して以来間もなく一〇〇年の歴史を刻もうとしてるバイクの王様だ。日本で登録されている大型バイクの約15%以上を占め、外国車のマジョリティーとして評価を保っている。たかがオートバイ。されどハーレーとライダーとの間には、人とキカイを越えた成り立ちが存在したりするからやっかいだ。 誤解のないように記すると、ハーレー乗りは別に特別な人達じゃない。ただ普通 の人達が偶然にもハーレーと出会ってしまうと、この鉄馬の呪縛にかかってライフスタイルが大きく変わってしまうことがあるらしい。 例えば、ハーレーに乗り始めた初期段階。2速30キロで家の近所を流すだけでも気持ちいい。別 にワインディング・ロードを駆け抜けていなくてもハーレーに跨っているだけで満足出来るという初期変化が表れる。このころ同僚からは「ええっハーレー乗ってるの?」と驚かれ、友人からは憧れの眼差しとともに「お前やったなっ」という尊敬にも似たお言葉。異性からは・・・あまり身辺に変化は見られなかった。 が、とにかくハーレーに乗るということは自分自身を刺激してくれることは間違いないが、周囲の人達にも刺激を与えるのも確からしい。 そして、着るモノだって趣味が変わりはじめる。 普段はスーツだけどハーレーに乗るときは普段着でもなく『ハーレーに乗るとき』のコスチュームにしたくなる。そしてどんどんイマジネーションを膨らましはじめてしまう。ハーレーは知らず知らずに着るモノにだって神経を使わせてしまう。だからって革のツナギなんか要らない(着たっていい)。とにかくセンスは向上する。 もしも『ハーレーに乗るとき』のコスチュームがあなたの普段着になってきたら、ほら、もうだいぶ変身しはじめている。 それにハーレーに乗ると遅かれ早かれいじりたくなる。どんなに機械音痴な人でもミラー交換くらいだったら自分で出来る。ハーレーはとってもカスタマイズの間口が広いから自分でいじる楽しさを自然に覚えていく。だからってタバコくぬ らせながらキャブ調整なんてマニアックなことは、必要ないと思うけど。 それからハーレーというバイク。乗ってる方にとっては気持ちよい音が、周囲や近所は「うるさいバイク」だと思われてる。だからかなり神経の図太い人でも深夜バババババッと家の前まで走って帰宅し、近所を敵に回すのはいかがなものか。と考えはじめる。結局大通 りでエンジンを切ってきたり、ほとんど倒れそうなくらいのアイドルスピードで帰ってくるようになる。しかも近所のおばさんに会ったりするととっさに笑顔になって、声高らかに「こんばんわ」なんて言ったりする。近所に愛想良くなってきたら変身具合も末期に近づいている。 憧れのハーレーとの甘い生活は、ハーレーを所有していること自体が優越感でうれしくなる。で、そのサウンドと心地よい振動に酔いしれ渋滞で止まっているときだって楽しくなってくるのが末期症状。しかも、バイクに乗っていて雨になんか降られたくはないのが本当のところだが、万が一、雨の中を走らなくてはいけなくなったとき、ましてや絶対に雨になんか濡らしたくない大切なハーレーを、ドシャ降りの中走らせなくてはいけない状況に追い込まれたとき、潔く開き直って走ってみると、これがなんと楽しいことか。 自分の力ではどうしようも出来ない自然界の力に、頭には来るけど最後には笑っちゃうんだな。あまり馬鹿馬鹿しくて。でも、雨に濡れて楽しいと思えるなんて無邪気だった子供の頃にしかなかった、あのなんだか甘酸っぱい気持ちを呼び戻してくれる不思議な力もハーレーにはあると思う。 私は個人的にハーレーを愛してやまないのでハーレーで書いてきたけど、他のビックバイクでも構わないと思う。大切なのは、少年をとっくに通 り越した年齢になって、わざわざ教習所通いして、苦労して免許を取ること。排気量 なんてモノに左右されずに本当に乗りたいバイクに乗るために、つまり限定解除をすること。出来ればちょっと背伸びしてビックバイクを手に入れたいではないか。あとは自分のペースで気負わずじっくり、ゆっくり付き合っていく。気づかないうちに段々自分が変身しはじめる。 そしていつの日かそう遠くない将来、日常の仕事はもちろん、家族や恋人といる時間とか、本当に何でもない普段が改めてとっても新鮮で素敵なことだと思える自分と出会えるはず。 もしあなたが、オートバイに乗ってみたいという夢をもっているなら乗ってみよう。それは心が豊かになるってことなんだから。
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