private eyes magazine 3号



 


 四国、南の玄関口にあたる高知。まぶしいばかりの太陽が照りつけ、通 りに点在する蘇鉄、そして海と山に囲まれたこの地は、南国を連想するにふさわしい。 高知といえば、ほとんどの方が必ずと言っていいほど訪れる名所は桂浜であろう。龍王岬と龍頭岬に囲まれたこの浜は、砂浜の白さと太平洋の青さのコントラストが際立った南国土佐の象徴であり、月の名所としても名高い。 この一帯には土佐闘犬センターや坂本龍馬記念館、桂浜水族館などの施設もあり、一日中居ても飽きることはない。
  土佐闘犬センターでは、県の天然記念物に指定されている土佐犬の歴史的資料と、実際の闘犬を見ることができる。 犬は日本人にとって、ある時は仕事のパートナーであり、また心の充足を満たしてくれるかけがえのないよき伴侶として、人々の生活に深く入り込んでいる。犬種はいろいろあれど、その中でも土佐犬といえば、威風堂々とした勇姿で威厳すら感じさせる。 闘犬の究極形ともいわれる土佐犬。その歴史はいつ頃から始まったのか、同センターの社長であり、財団法人とさいぬ 保存登録協会専務理事の広瀬隆司さんが次のように説明してくれた。
「現在の土佐犬は今から八五年前ほどに外国種との配合により誕生したものです。ですからその当時の闘犬は今の土佐犬ではなく、日本犬の噛み合わせということではあったかもしれません」
  確かな歴史的資料がないことから推測の域にとどまるが、江戸時代には間違いなく存在していたという。それは高知の歴史にも起因している。
  四国を平定した長宗我部にかわり、山内一豊が高知を治める。桂浜あたりの地侍は長宗我部の系列が多く、中央から色々な面 で押さえつけられてた。その鬱積を解消させるために山内は闘犬を奨励し、怒りの矛先を変えようとしたらしい。 また階級社会の中、上下関係のない闘犬は、まさに自分の分身として闘うことができた。しかも武士の嗜みでもあって、士気向上に役立てていたとされている。
  明治に入ると前述のとおり、外国犬種との交配が始まる。土佐犬のベースは四国犬。狩猟に使われていたが、ただの猟犬とは違い相手を追い払うどころか倒してしまうほど勇敢な犬だ。
「おそらく昔の人は犬に強さと体格のよさを求めていたのでしょう。ジョン万次郎や龍馬に代表されるように、高知の人間は外に目を向ける人が多い。それで一番最初にかけ合わせたのがブルドッグ。強そうなイメージがあったのでしょう。その次に大型化しようということで、マスチフ、グレートデンなどで交配を重ねながら現在の土佐犬ができたわけです」
  山々に囲まれた高知も鉄道の整備などで、土佐の犬相撲と称して関東、東北地区へと興業を行うまでになった。そこでご当地との犬相撲となるが、その後の犬種にも大きく影響する取り組みが行われた。土佐犬と秋田犬との十番勝負だ。
「体格の小さな秋田犬有利での戦いとなったが、結果は土佐犬の快勝。秋田犬の持ち主は到底勝ち目がないと判断し、土佐犬と交配させた。体格の大きな秋田犬が生まれたが、アメリカ軍人が好んで本国に持ち返り、米国で繁殖され、アメリカン秋田犬が誕生したのです」
  今では世界にいる秋田犬の約三分の一ほど土佐犬の血が入っているとされる。土佐犬は闘犬を極めたスタイルとしてそのまま残り、一方の秋田犬は闘犬の道を断ち、品評会に生きる道を選だ。

 
横綱の土俵入り。威風堂々としたその勇姿は威厳すら感じさせる。
試合が開始されると、飼い主はリングバーの上によじ登り、戦況によって闘犬に声をかける。
目の前で繰り広げられる土佐犬同士の喧嘩は声を失うほどの大迫力だ。

 

土佐犬を愛する気持ちは  永遠・・・
  しかし闘犬の環境は決して恵まれているとはいえない。一つは昨年十二月に施行された動物保護法だ。闘犬を虐待と捉えるか競技と捉えるかは分かれるかもしれない。でも闘犬は土俵の中でしか闘うことをしない。 「闘犬を訓練するためにはリング(土俵)が絶対に必要なんです。一歳ぐらいから訓練を始めるのですが、その年頃になると血気盛んになり、俺は強いと思い込み、お山の大将のようになる。これは血筋ですが、その時点で喧嘩させ、自分より強い存在があることを理解させるのです。それで自分の長所短所を知っていく。闘う場を教えることを徹底しているのです」 たとえはよくないが、空手、剣道などの武道家も試合会場、道場以外の場所で行えば、それは凶器にもなる。しかも闘犬は犬だけで行うものでもない。 実際の闘犬を見る。勝敗は威嚇の怒号さえも負けになる、まして泣き声、逃げが許される訳はない。二頭の土佐犬が上に下にと形勢を変えながら、その牙はしっかりと相手の喉を噛み、そして離さない。八角形のリングの上に飼い主が腰掛け、戦況によって「頑張れ」、「いまだ行け」と声をかけながら行われる様は、愛情無くしてはできない、人と犬の強い絆を感じさえする。 犬ではないからその痛みを感じることはできないが、喉の箇所は外見を見ただけですぐに分かるように、ひだ状になっている。この伸縮性のある皮膚は牙で噛まれても血管や筋肉を損傷させない、相撲でいえば廻しを取った状態に近いという。 もう一つ大きな問題が、闘犬に欠かすことのできないリング。常設リングはここ桂浜と埼玉 にあるだけ、移動用の仮設リングはあっても町中でやるわけにはいかないからだ。闘犬に対する一般 のイメージも大きく左右している。 現在、協会に加盟している土佐犬は約二七〇頭ほどいる。それでも親方といわれるベテランは五人ほどしかいない。当然、土佐犬の数も減ってきている。 広瀬さんは種の保存の道を模索する一人だ。その表れが財団法人の設立であり、県の天然記念物への指定である。
「私には二つの目があるのです。中学生の時、育ていた土佐犬を私がいない時に父が闘わせ、不幸にも窒息死してしまった。その悲しい思いであるからです。窒息することはほとんどない例で、そこに居合わせたわけではありませんが、かなり我慢していたのでしょう。でも闘犬が嫌いなわけでもありません。ただ闘う時は自分がコンディションを見て今日は一緒に頑張ろう、というのが闘犬ですから」
  闘うことを運命づけられて生まれてきた土佐犬が、闘う場を失われるということは悲劇でしかない。だが品評会への道も土佐犬を愛する気持ちに変わりない。ビロードのような美しい毛並みと紳士的な性格を持つ土佐犬の恒久的な存続を期待したい。
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坂本龍馬記念館や日本三大鍾乳洞の一つ、龍河洞などの記事が掲載されています。特に龍馬記念館の「龍馬は人を斬ったことがない」とされる刀や、暗殺された近江谷屋の部屋にあった生々しい血の痕跡が残る屏風などは必見です。