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――幅広いメディアでご活躍の秋元さんですが、この世界に入るきっかけは、高校在学中に送ったラジオ番組の台本だったとか。これが採用となりデビューされたそうですが、ラジオの仕事に興味をお持ちだったのでしょうか。
秋元 そんなつもりはなかったんですけどね。
――では、どういった事で?
秋元 受験勉強していた時の暇つぶしみたいなことだったですね。
――とりたてて興味はなかったと。
秋元 そうです(笑)。
――この仕事がきっかけで、今の秋元さんがあると思いますが、そういった意味でモノをつくり出すとか、書くというのは、ラジオに関わらず興味をお持ちだったのでしょうか。
秋元 その当時は何もなかった。あくまでも受験をして、東大に行って、大蔵省に入ろうと思っていましたから。クリエイティブな仕事をしたいとかはなかったですね。
――放送作家デビューが、大蔵省への道を断念させた?
秋元 率のいいアルバイトだと思っていた。ただ、そんなのは長く続くと思っていません。当時、僕らの先輩で北山修さんという人がいて、北山さんが作詞家をやって、大学の医学部に在学中に作詞した「戦争の知らない子供たち」で売れっ子の作詞家になっていました。でも、途中で大学に戻ってこられ、それがイメージとしては近かったですね。だからある程度やったらまた受験勉強をして、普通
の道に戻ろうと思っていました。
――本当の息抜きだったんですね。
秋元 そうです。
――放送作家で、飯を食べるようになったのは大学生の時?
秋元 大学一年の時から食べられましたね。
――大学での勉強は大丈夫でした。
秋元 ほとんどしてないです。忙しかったですね。留年はしましたね。大学に籍だけ置いて、仕事していましたから。
――放送作家、その次は作詞家なんですか?
秋元 ラジオをやって、テレビをやって、舞台をやって、作詞をやってという順番です。デビューした頃はやっぱり、ラジオの仕事が多かったですね。ラジオと決めていた訳ではないですけど、たまたま、ラジオで入ったのでラジオの仕事が多かった。そのうちに、テレビの仕事が多くな って、舞台の構成、演出なんかを始めました。そのうち作詞もやるようになって。あんまり、こうなりたいというのがなかったので、流れにまかせていた感じですね。
――秋元さんが一人でやろうとしたら限界があると思いますが、人脈はかなり必要でしょう。
秋元 出会いがやっぱり多かったですね。この人がいたから作詞をやったとか。この人がいたから放送作家の道に進んだとか。節目節目でいろいろな人に出会ったのが、大きいんじゃないですかね。
――作詞家としての勉強はどんなものがあったのでしょうか。
秋元 厳密にいえばあるでしょうけど、仕事をしながら覚えたところもあります。実際に書いていると、こういうふうに書けばいいんだってのはありました。
――放送作家であり、作詞家であり、今では映画監督、テレビ番組の企画などもプロデュースされてると思いますが、一見つながりがありそうで、案外なさそうなそれぞれの職業だと思いますが。
秋元 共通するのは、アイデアを出すだけ。企画という事だけですかね。企画をするって事は、料理みたいなもので、その食材から何を創るか。それが中華だったり、イタリアンだったり、フレンチだったり。僕の中では、あんまり差はないですけどね。
――ベースは一つということですね。
秋元 そうです。
――実は秋元さんのお名前より、番組に興味があって、「おしゃれ関係」ですとか、「みなさんのおかげです」とか。たまたま見ている番組が、秋元さんの番組だったり。どちらかというと、秋元さんの名前よりも番組自体が、表面
に出ている部分がありまして。それは、企画やプロデュースされている秋元さんにとっては理想なのか。それとも秋元さん自身が表面
に出た方がいいのか。
秋元 あくまでも僕は裏方ですから、作品が世の中に出て認められた方がいいですね。
続く
<<private eyesマガジンでは・・・>>
秋元康さんととんねるずとの関係や美空ひばりの川の流れのようにが世に出るまで。そして、インターネットの可能性などについて熱く語られた。
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